大人の発達障害が幸せへの扉だった(発達障害)

こんにちは!ブログに立ち寄ってくださってありがとうございます。
ココは、私が60年の人生で向き合ってきた人生模様、その扉を開け綴っています。
今日は2016年頃の扉を愛鍵で開けてみましょう。

今日は、我が家の愛する “お嫁ちゃん” のお話です。
彼女と私が出会ったのは人気犬種をブリーディングしている犬舎でした。そこは全国でも有名な犬舎で、彼女は動物専門学校を卒業後、ずっとそこで社員として勤めていました。パート募集の広告に応募した私は、面接で彼女と初めて会い、どこか寂し気な表情が印象に残りました。美人で小顔!スタイルが良く、普通なら誰もが目に留める外見です。ところがその容姿とは裏腹に、悲しげにうつむき、ひっそりと人の後ろに隠れるように佇んでいる子でした。

面接に合格した私はパートとして働き始めたのですが、面接で気になっていたその女性は、パート全員から嫌われていることを知りました。常に無表情、挨拶もまともにせず、何か話せば声は聴こえないほどの小さな声。なのに人の顔も見ず話す言葉はきつく投げやりで、時には理不尽に怒りだしモノに当たります。確かにこれでは誰も好きになりようがありません。
あまり人を嫌わない私でも、この人は苦手だなぁ~、どうしたらこんな性格になれるんだろう?と思ったほどです。仕事を一緒にすればするほど、指示される内容の理不尽さに腹立たしく思うこともありました。
あまり人を嫌いにならない反面、一度嫌いになると、その気持ちは簡単に覆らない私ですが、なぜか彼女のことは気になったり心に引っかかります。それが自分でも不思議でした。パート仲間では、あの性格は普通の育ちじゃないひねくれっぷりで、両親がいなくて施設育ちじゃないかと噂されていました。そんなある日、偶然、彼女と話す時間ができ、ご両親も妹さんもいることを知りました。どんな人なの?と聞いてみると、返ってきた内容に、言葉では説明がつけられない違和感を感じました。もしかしたらこの子は大人の発達障害ではないかと思い、傷つけないよう配慮し「突然で悪いんだけど、心療内科とか興味ある?」と尋ねました。彼女はすかさず「あります!行きたいです。でも一人では行けないんです」と言ったのです。私は、「なら行ってみる?一緒について行くよ。」と言うと「はい、お願いします」と、想像もしていなかった展開になりました。それがきっかけで仕事以外の話をするようになると、本来の彼女の心優しい一面が姿を現してきました。寮で暮らしていた彼女はいつも一人で食事をするというので、我が家に誘ったり、心療内科の帰りに食事したりしてどんどん彼女のことがわかってきました。心療内科でのいろいろなテストの結果、自閉スペクトラム症で、アスペルガー、ADHD、学習障害などを持ち合わせてることもわかりました。
28歳までの彼女は “生きづらさ100%” で、常に、いつ死のうかと考えながら過ごしていたと言います。
大人の発達障害は10人いれば10通りの症状があり個々でその症状は違い、同じ人はいません。
彼女の場合、五感が異常に発達していて、聴覚で説明すると、音の種類を脳が選べません。
スーパーではお肉を照らす電気の音と人の話し声が同じ音量で聞こえますから、15分で疲弊してしまいます。人間の脳は、身を守るために自分が聴きたくない音は脳が勝手に聴こえないように音量を小さくします。パチンコ店に入店したときの音と数分経った後の音とでは聴こえ方が違っているのがまさにソレで、脳が耳障りな音を小さくしてくれているのです。その脳の一部が欠けているので辛さは想像を超えるほどだと思います。
嗅覚も味覚も視覚も通常のレベルをはるかに超えています。
そして、他人との距離感、気持ちへの寄り添いが理解できません。
こんな状態ですから、会社でも問題行動は多々あったようです。会社のオーナーから浴びせられた罵声の数々を、自分が悪いから怒られるんだと思い込んで日記に書き溜めてあり、私はそれを読んだとき涙が溢れました。

どれだけの間こんな酷い言葉を投げつけられていたの?どれだけの間自分を責めて生きてきたの?よく今まで頑張ってくれてたね!と思い、生きててくれたことに感謝しました。それほど酷い内容でした。
オーナーからパートへの教育方法を指導された内容が、ノートにびっしりと書かれていて、それを読んだときに、彼女のパートへの態度が理解できました。障害のある彼女は、オーナーから指導された通りの言葉や態度を一生懸命真似て努力していただけでした。それが正しいことだと信じて忠実に守っていたのです。
ある日、会社のパソコンの調子が悪くWEBサイトを見てほしいと言われ、ちょうど家に帰省していた息子に頼んで会社へ来てもらい、彼女と息子は出会いました。なぜかこの二人を会わせたら、恋へ発展すると直感で思ったのは私のスピリチュアル能力だったんだと後でわかりました(笑)。

こうして、半年後には結婚へとトントン拍子に話は進みました。
しかし、他人との距離感や気持ちの寄り添い方がわからない彼女と、几帳面で神経質な息子との生活は、愛情という感情だけでは解決できないことばかりでした。お互いの求めるものが全く理解できません。

連日の言い争いはお互いを傷つけ心は疲弊していきます。息子も頭で理解できても、実際の生活となると難しかったようです。仕事で疲れた体や心を家に帰っても癒せず彼女を責め立ててしまい、これ以上彼女を傷つけさせるわけにはいかないと感じた私は、結婚後すぐに彼女をわが家に避難させました。どちらかが悪い!ということではないので解決はお互いのことを理解するしか方法はありません。数回このようなことを繰り返しながら、少しずつ少しずつ、ゆっくり焦らずお互いの気持ちを話し合い距離を縮めていきました。彼女の障害である、努力で治せない部分、どうしても理解できない部分は、数学の公式のように、5-3=2 6÷2=3 という感じで、朝起きたら笑顔で「おはよう」、僕が話し始めたら顔を見る、という形で、理由は考えずただ覚えてもらうという方法でした。これを公式を覚るように記憶したりノートに書いたりし、週末夫婦会議を実践し、一週間で気になったことや意味が分からなかったことをお互い書き留めて話し合う!こうした小さいことでも大きな結果を生むための努力を結婚4年を過ぎた今も二人は続けています。二人の努力はこうして文字で書くと淡々と感じますが、涙が枯れるのではないかと思うほど彼女は涙を流し、同じように息子も、自分は彼女を幸せにできないんじゃないかと苦しみ、一生懸命歩み寄るために努力を続けています。もちろん心療内科にも通い続けています。
生まれつき欠けている脳を補うのは努力だけでは苦しい時も多いです。ときにはお薬の力を借りて対応しています。障害者手帳を取得し、かばんにはヘルプマークをつけて出かけます。

そんな彼女が言いました。「発達障害で良かった!生まれ変わってもまたこの自分で生まれたい、最高に幸せ!」大人の発達障害だとわかり正体不明の苦しみから解放され、最高の幸せをつかめたと。
毎年、私の誕生日には「出会ってくれてありがとう、私を見つけてくれてありがとう」と言ってくれます。
しかし私は、逆に彼女が私を見つけたんだと思っています。私は、私を必要とする人はどこにいても必ず私を見つけてくれると信じています。

発達障害、グレーゾーンで辛い思いをされてる方の、一筋の光、希望になればと思い、掲載いたしました。

どんな辛い状況でも、必ず幸せの扉は自分自身で見つけられます。
見つけられない時は私が一緒に探します。必ず見つけます。次はあなたが幸せになる番ですよ!

望む人生を手に入れるため、他人軸から自分軸へシフト!
明るい未来へと歩き出しませんか?
是非、カウンセリングの扉を叩いてみてください。

心理療法と数あるワークで、無意識の執着を手放し自分軸で生き、憧れだった自分を手に入れ、幸せに満ち溢れ、空の美しさに気づける人生の扉を開けましょう。
愛鍵を私がお渡しします。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングルームへ

「大人の発達障害が幸せへの扉だった(発達障害)」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です