今回のブログ記事は人生相談関係の内容になりますが、子育てでお悩みの方のヒントになれば嬉しいです。
こんにちは!ブログに立ち寄ってくださってありがとうございます。
ココは、私が60年の人生で向き合ってきた人生模様、その扉を開け綴っています。
今回と次回、2回に渡って私自身の子育て法についてお話させていただきます。
子育て…振り返ってみればあっという間に終わってしまった気がします。
ひとりっ子だったせいもあるかもしれません。
私の子育て論はタイトル通り【愛情かけて手はかけず】でした。
親は何のためにいるのか?
私は子供を自立させるためだけに親はいる!というのが持論です。
1983年6月 マイエンジェル(息子)が誕生しました。
誰からも必要とされていないような錯覚の中で生きていた私にとってこの子の誕生が生きる意味を与えてくれました。存在だけで私を励まし勇気づけてくれました。
しかし私の子育ては、一見破天荒で、周りの誰もが「若い母親だから…」「あれで親なの?」などと囁かれていることも噂で耳にしました。
えっ?いったいどんな子育てしてたの?
気になりますか?
私は自分が感性豊かなことから、息子にもそうなってほしいと願っていました。
美しいものを見て美しいと感じてほしかったので、夕陽や花を見せて「きれいだね~」と何度も言いました。
ちゃんと自分で考え形にしたり言葉にできるようにと、3歳になるまでおもちゃはと呼べるものは、積み木とレゴブロックとパズル以外与えませんでした。レゴブロックは10㎏入りのミカン箱一杯になるほどの量でした。
言葉に関しても、いわゆる “赤ちゃん言葉” というモノは一切使わず、犬はいぬ、猫はねこ、ご飯はごはん、大人が使う言葉をそのまま使って話していました。そして、とにかく起きている間はずっと、テレビを見ていてもブロックをしていても常に話しかけていました。
そのせいか言葉おぼえも早く、1歳11か月で吉幾三さんの「俺ら東京さ行くだ」を完璧に歌えたことで周囲を驚かせました。
私は子育て中、子供だからまだ理解できないという発想はしないようにしていました。
3歳になる直前、熱を出した息子はアイスノンをハサミで切っていました。私は理由が知りたくなり「どうして切ったの?」と尋ねると「さっきまで固かったのに柔らかくなったから中身が見たかったの」と言いました。
私は “なるほど、確かに” と思いました。3歳児には3歳児のきちんとした考えがあるんだと感心しました。
それからはどんな時も、大人から見ればイタズラに見える行為でも叱る前に必ず理由を尋ねました。
ただ、家に遊びに来た私の友人のスカートをハサミで切ったときは、息子の超お気に入りのミッキーマウスのTシャツを目の前でハサミで切り刻みました。もちろん号泣していましたが、理由を尋ねても言えなかったときは迷いもなくされた人と同じ気持ちにさせました。25歳、かなりドSな母親です(笑)
癇癪をおこしておばあちゃんの背中を力いっぱい叩いた時も、手加減せず息子の背中を叩きました。
おばあちゃん(実母)は、「子供なんだから」といつも庇っていましたが、3歳児の暴力は許せても力関係が変わったときには家庭内暴力でしょ!というのが私の持論でした。
私は息子が3歳の誕生日を迎えた日から、息子の部屋の掃除は一切しないことにしました。散らかしたら片付ける!自分の責任でやらせました。どんなに散らかしていても叱りません。後で自分できれいにすればいいこと!と言っていました。あの時代小さな掃除機はなかったため、大きな掃除機を小さな体でえっさえっさと運びながら自分で掃除機をかけていました。
小学校に入学した日には、目覚まし時計をプレゼントし「これからお母さんは起こさないから毎日自分で起きなさい」と言い、それからはどんなことがあっても起こしませんでした。小学校2年生に一度だけ、私が会社へ行くときにもまだ部屋で寝ていたことがありましたが、私はそのまま出勤しました。会社へ着いた途端「どうして起こしてくれないの、学校に遅刻しちゃうよ」と半泣きで電話がかかってきました。学校に遅刻するって電話して!とも言いましたが、私は「自分が悪いのだから学校へ行って自分で言いなさい」と突っぱねました。
その日仕事から戻るのが楽しみでした。朝、泣きながら学校へ行った息子の反応を見たかったのです。
家に帰ると、とびっきりの笑顔で「お母さんお帰り!」と私に飛び込んできました。私は予想外の様子に少し驚き、「学校で叱られなかった?」と尋ねると「ひどいお母さんだね!って先生が言ってたよ、僕は褒めてもらえた」と喜んでいました。まぁ教師の反応は想定内でしたから、息子が元気ならヨシとしました。
案の定、夕方、担任の教師から「まだ8歳ですよ、お母さん!ひどくないですか?」とお怒りの電話が入りました。私は「先生は一生この子の面倒みてくださいますか?私はこの子を一人前にするために育てています」と言うと、呆れたように電話を切られました。
息子はというと「僕はもうお母さんを絶対に信じないからね」と言っていました。(ふむ、そうこなくっちゃ!)我が家は私がフルタイムで働いていたので、息子は小学校からずっと鍵っ子でした。家族みんな暇な人はいないのだから、自分のことは各自責任を持つ!というのが家のルールだったのです。
この事件以降38歳の現在まで、朝寝坊で学校や会社に遅刻することは一度もない子になりました。
ここまででも、私の子育ての破天荒っぷりはまぁまぁ伝わったと思いますが、このあとは破天荒っぷりに拍車がかかりますので、ご興味がある方は次回お楽しみに!
補足:私は手はかけませんが愛はたっぷりかける主義。
たとえドSな母親でも、子供が「ねぇお母さん」と言ったときは、料理中でも電話中でもどんな時でも必ず手を止めて、触れ合って「なぁに?」と向き合うことに時間は惜しみませんでした。
こんな破天荒な子育て経験を持つ私ですが、子育てでお悩みの方に何かアドバイスできるかもしれません。
こんな破天荒な子育て経験を持つ私ですが、子育てでお悩みの方に何かアドバイスできるかもしれません。
子育てに正解も不正解もありません。
難しく考える必要もありません。
ただ、毎日明るくて元気なお母さんが大事なんです。
お母さん自身が見本となって生きていればいいんです。
どうか、一人で悩まないで、不安なことがあったら是非ご相談ください。
「愛情かけて手はかけず 破天荒な子育てPart1(子育て/人生相談)」へのコメント
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